ラベリングされる感情~ファンに名前は必要なのか~
おひさしぶりの更新です。
定期的にブログを更新することを来年の目標にしたいなと思い始めました。
そんなことはさておきまして、タイトルの話です。
昨今のおたく界隈でよく耳に目にするファンネームに関する話です。
そもそもファンネームってなんぞや?って話なんですけど。
まぁその名の通りファンの名前です(説明がへたくそ~~~)
Twitterとかだと○○(ファンネーム)歴何年!というアピールをしたり○○(ファンネーム)とつながりたいなど同好の士を探すための指標として用いたりしてる人が多いかなという印象(個人の意見です)
アイドルならそのグループ名にちなんだものがファンネームになるし、ソシャゲならプレイヤーの役職そのものが「その作品が好きな人」を表現するファンネームとして用いられています。
で、ここからが本題。
あれ本当に必要か??????って思うことがあるんですよ。
というか最近本当に思ってまして...。というのもまぁ、自分の推しがおたくに言われてファンネームを作ろうとしているからなんですね。
別に○○さんのファンじゃだめなのか?って個人的には思うんですよ。
だって別にファンだからって別に徒党を組んでどうにかしようってものじゃないじゃないですか。
私には私の、誰かには誰かなりの信念があって、その気持ちや推し方って人それぞれじゃないですか。
現場に行くペースだって、推しに向き合うスタンスだって違う。
推しの生活を支えたい人、推しを自分の生きる糧として主食にしている人もいれば、普段の生活では得られないものを得るための栄養補助食品的な位置づけにしている人だっています。
興味がわいた好きな作品だけみたい人もいれば、推しが出ているならどんな作品でも追いかけたい人もいる。
時間やお金は有限な中でそれぞれがそれぞれに様々な推し方をしているのにそれを「同じ対象が好き」というだけで全く同じラベルを貼り付けられてしまうのはなんだか違和感があるのです。
いうなればトマトケチャップもホールトマト缶もドライトマトも同じトマトだからトマトでいいよねみたいなもんです。がさつすぎんか?その分け方って話ですよ。
もちろんその名前を名乗りたい人がいることもわかります。それは好きにしてください。
ただ、それをあまり必要としていないなと思っているよという人がいるということ、そしてそのラベルを身に着けていないことでとやかく言われたくない人もいることを知っていてほしいのです。
同じ対象が好きだからといって、生き方や考え方、性格、年齢、性別......挙げていけばきりはありませんが全部が同じなわけではないんです。
合わない人との無意味な争いを避けたいが故に同じものが好きでも、必要以上に交友関係を持とうと思わない人もいるのです。
それは誰かと比べないためであったり、好きなことをしているときくらい合わない人との関係を避けるためであったり、それこそ推しを好きなのは私だけでいい!って気持ちで避ける人もいるでしょう。
でも避けてるだけいいじゃないですか。攻撃をしているわけではないなら誰にも迷惑は掛かりません。
ただ放っておいてくれればそれでいいのです。
それを面白おかしくからかったり、それに対して嫌がらせをするほうが人としての器が矮小で愚かしいと思うのです。
話が逸れてしまいましたが、要はファンネーム付けたきゃつけりゃいいけど使わないからお前はファンじゃないとかぬかすようなやつは野暮って話です。
端からお前らの仲間になった覚えはない。ひとりであろうと私は私の信念で推しを推していく。
これは自分への誓いであり、推しへの宣戦布告でもあるのです。