推しを"推す"ということについて〜"いい推し"ってなんだろう〜
みなさんこんにちは。11/4は"いい推し(1104)の日"らしいですよ。
というわけで推し増し100人を謳う当ブログでも"推し"とはなんぞやについて考えることにしました。
歴代推しは主に役者さんが多いので、それを前提としてお話をします。
私、ちょっと芝居がうまいくらいじゃ推しにはならないんですよ。
なぜなら私の中では役者を推すにあたって"芝居ができる"というのは当たり前の最低ラインの話でして。
芝居ができないやつは、そもそも視界に入れようとも思わないんですよね。
じゃあ、なにで推すのか。それは人間性です。
だいたい私は役作りの向き合い方とか趣味とか言葉選びがきます。
(あとなぜかオタクな子が多かったです。なんでだ?)
昨今はSNSを持っている役者さんが多いので、日々それを更新してくれる人はわかりやすく人間性が見えて好きになりやすいですね。
Twitterが面白い人は気軽にフォローしちゃいます。
毎日期待できるものを載せてくれる人は推しがいがありますね。
推すという行為はその対象に"期待をする"ことなんです。
逆に言えば期待のできないものに割くお金や時間、感情はないんですよ。
推しに期待をしない方がいいと言う人もいますが、私は期待ができない者を推しにはしたくないんですよねぇ。
だって期待できない対象に割く時間とお金と感情なんて無駄じゃないですか。
私は期待外れなものが出てきたら心底ガッカリするし文句のひとつだって言いたいんです。
時々そんな文句ばっかり言ってみたいなこと言われることもありますが、期待がそれだけ大きいってことなんです。
(そもそもそんな文句言わせるようなことしてるほうにも問題があると思うんですけど?)
どうか今推している推しも、これから出会う推しになるかもしれない人たちもたくさん期待をさせてくれる人でありますように。
そして願わくばいつまでもその期待を上回る"いい推し"でいてくれますように。